踊らされても直視する
毎週楽しみにしている、Haley Nahmanのニュースレター、
お悩み相談者は「アメリカ版の私か?」と思うほど、質問内容が今の自分の悩みとぴったりで身に染みた。
「自分の思い描く夢と現実の今この私が、どう考えても繋がらないのが悲しい」
というようなこと。
将来の夢も直面する悩みも、「こうなりたい!」「こうしなきゃ!」って強く思うのに
具体的な対処法やプロセスがわからなくて、
なんとなくモヤっとして時間だけが過ぎてしまうんだよね。わかる~。
そういう思考に至る原因として、たとえば他人のインスタグラムの写真について。
完璧に見える風景や食事、毎日イケてる友達と遊んで暮らしているような日々、
窓の大きなマンションに住み、かわいいペットを膝に乗せ、遊びの延長みたいな仕事を任されている。
ただ、その写真に至るまでのプロセスが一切載っていないから、「この1枚の写真を載せるために、彼らは何を犠牲にしたか?」そこまではわからない。
だから「苦労一つせずにほしいものをすべて手にしている」とか、「楽しいことがエンドレスで続く毎日」とか、そんなファンタジーを当然のように受け入れてしまっていて、
自分自身が夢を描くときも「ある日突然すべてが手に入った状態」で、「その立場が誰にも脅かされることなく続く世界」しか想像できなくなってる。
Haleyは、「あなたのその夢はアイデアに過ぎず、その望みがなにを示しているのか? それについて考えたほうがいい」と言っていた。
私はこの間「プロミシング・ヤング・ウーマン」という映画を観た時に、
「キャリー・マリガンになりたすぎた」とか「キャシー(主人公の女性)がおしゃれでウットリ~」とか「あんなカフェで働きたい(そして夜は別の顔を持ちたい)」というような、淡い想いに延々とふけった。
それ自体は悪いことではない。
でもきっとそれだけじゃ私は一生夢見る夢子ちゃんなわけで、「なぜ、このような女性像に憧れるのか」という探求とか、またはこの映画が生まれたプロセスを考えてみることもそうだし、「もし憧れの人物になったとしたら、自分が他人に与える影響は? いま抱えている悩みや不安は? 手に入れられなかったものは? 失ったものは?」
そういうことまで考えてみないといけないんだと思った。(詳しくは こちらより)
バカみたいな願望の、それが意味するものを抽出することが大事だし、
憧れの人物(それが架空の人物だとしても)にも、悩みやストレスや絶望、そしてその人物が手に入れられなかったものも、必ずあるというわけ。
あー、でも早くこうなりたいよね~。は~?もう、なんなの~?